ONE SAUNA対談 VOL.4|SANU GEN FUKUSHIMA with ONE SAUNA HARUYA AGEMATSU Part.1
- Talk about ONE SAUNA
『SANU』&『ONE SAUNA』 誕生と邂逅
自然に深く関わる事業を展開している『SANU』と『ONE SAUNA』。今回はそんな両ブランドのトップである二人の対談をお届けする。年齢も同じで、地方出身。東京でバリバリと仕事をこなした20代を経て、今は自然と対峙する事業を展開しているお二人。PART.01では、会社のトップとして、ブランドの立ち上げから理念や想い、2つのブランドが出会って1つのものを造り上げるまでのお話を伺いました。
PHOTO:Sauna_YOHEI MURAKAMI , Portrait_KOKI YAMASAKI
“自分の好き”と“自然への想い”を繋げて、事業に発展させる。
―――オンライン上でのやりとりはあったものの、意外にも実際の対面は今回が初めてというお二人ということで、まずはお互いの自己紹介的に事業の立ち上げについて改めてお聞かせください。
「人と対話を重ねながら“手触りのあるものづくり”をするビジネスが好き」(揚松)
揚松 晴也(以下 揚松)リバティーシップというECサイト製作やプロジェクトマネージメント、WEBコンサルティング事業を主に扱う会社を宮崎の青島でやっています。現在はその範疇にとどまらず、様々な事業を展開していますが、当初は人を増やすつもりもなく一人でゆるゆると始めた会社で、立ち上げは2019年。そんな中、別のプロジェクトで繋がった宮原さん(宮原秀雄 現ONE SAUNA Brand director)が主宰していたオンラインサロン『ハミダシ学園』の立ち上げをご一緒させていただいたことがきっかけで『ONE SAUNA』というサウナブランドが立ち上がります。
福島 弦さん(以下 福島)サウナ(を事業)にした理由は?
揚松過去に飛行機の整備士や日本料理屋の板前の経験もあり、人と対話を重ねながら“手触りのあるものづくり”をするビジネスが好きで、“新しく何かを産んでいくこと”は元々やりたくて興味がありました。ハミダシ学園に全国のサウナ好きが集うサウナ部みたいなものがあって、その中で「サウナで何かを興したい」という話が挙がったのがきっかけです。私もサウナが大好きでコロナになってサウナに入りづらい世界になって、単純に自宅にサウナが欲しいと個人的に思ったことも後押ししました(笑)
福島なるほど。それはいいですね。
揚松世の中にもそういうニーズが増えてくるだろうという時代背景もありました。当時、テントサウナが流行り始めていたタイミングだったんです。テントでもいいけど、どうせやるなら何かないかと考えていた時に思い出したのが宮崎の木材事情でした。私は宮崎の出身で、宮崎は杉材の生産量が32年間日本一の県。スギ花粉がすごいんですけど(笑)そういう土地で生まれ育ったので、林業がすごく身近にありました。一方で、木材の需要が減り、どんどん山が廃れていっている問題も抱えていました。それならその木材を使って地産地消のサウナを作ろう! と2020年にスタートしたのが『ONE SAUNA』なんです。
福島ワンサウナと名付けた理由は?
揚松色々と想いはあるのですが、一言でいうと“サウナで一つになろう”ってことです。サウナをきっかけに人と人とが繋がっていくコミュニティをデザインしていけたらいいなと。
「“自然の楽しさを伝えること”を通じて次世代に繋げていくことができたらいい」(福島)
揚松『SANU』はどうやってスタートして行ったんですか?
福島『SANU』は2019年の暮れに立ち上げました。“Live with nature./自然と共に生きる。”という言葉を掲げ、2021年11月より都市から2〜3時間の自然立地にあるオリジナルのキャビンに月額制で滞在できる、セカンドホーム・サブスクリプションサービス『SANU 2nd Home』を提供させていただいています。 キーとなる自然との繋がりは、幼少期まで遡ります。大学に入るまでは、北海道の北丿沢という札幌市の郊外の山の麓でずっとスキーをしながら暮らしていました。自然が横にある生活が当たり前だったというか。子供の頃は別に「自然最高です!」みたいなこともなく、そういう中で生まれ育ちました。その頃はコーチをしながらスキー技術を磨いていくスキーのデモンストレーターを漠然と目指していました。 でも本当にオリンピアンの一部しか稼げないような厳しい世界。「俺は、ここで勝負していけるのか?」と感じ、もうこれは北海道を出て東京(の大学)に行くしかないと一念発起して、勉強を始めて上京します。大学生から社会人になる頃はほとんど自然にもいかず、しゃにむに仕事をして、週末は夜遊びをするような都会的な生活を送っていました。
揚松そんな中で『SANU』を立ち上げるきっかけになった転機は?
福島30代に入ってふと自分の人生の中で余白ができ始めた時代です。その頃は、日本を離れて中東で仕事をしていたのもあって、飲み会も減り、自分の時間ができ、ランニングを始めました。走っている時にふと自分の今後の30年を考えたら、少し方向転換したいと思い始めました。自分のルーツを探る中で、“自然”というテーマに戻ってきたんです。 時を同じくして自分を自然の中に連れて行ってくれる同士に出会います。それが、本間貴裕(SANU Founder、Brand director)という人間だったんです。彼のフィールドは海や川、湖がメイン。僕は山の人間だったので、山は散々行っていたけど、未知の自然に連れ出してくれた。そういうセッションを重ねて『SANU』を立ち上げていきました。 『SANU』は、立ち上げてから事業の中身を探し始めたので、ちょっと(『ONE SAUNA』の立ち上げに)近いかもしれないですね。僕らも最初は自然の中でどんなことやろうか?とか言いながら、プロジェクトを仕込みつつ、試行錯誤しながらのスタートでした。
揚松そのストーリーはとても意外ですね。何かやりたい事業ありきで『SANU』はスタートしたものだと思っていました。
福島とりあえず、集まっては理念の話ばかりしていました。「自然をテーマに事業をやるのってどうなんだっけ? 事業をすることで自然を壊す可能性があるけど、自然にとっても豊かになるには?」とか、「自然に配慮できたとしても、利益につながる事業なの?」とか。ライフスタイル全般はやりたい気はしていたけど答えが見えない状況で、そういう話しをすることに時間をかけていました。
揚松どれくらいの期間、話を重ねていたんですか?
福島立ち上げてから1年弱くらい。後は、『SANU』って名前をひねり出すのにすごい時間をかけました。それは理念に通ずる名前という意味で。(名前を)探したりするのにそんなに時間を掛けて、大丈夫かな?と思った時に、“セカンドホーム”ってビジネスアイデアが降りてきて。「良しこれだ!」って感じで事業の準備に取り掛かって行きました。
揚松『SANU』という言葉の由来は?
福島『SANU』は古代インド語である、サンスクリット語が由来で、“太陽”“山の頂上”“思慮深い人”という3つの意味を持っています。人と自然を繋げる言葉でもあり、自然だけを意味する言葉ではない。そこに人の要素が入っていて、僕らの社会の変え方として“北風でなく太陽であろう”ってスタンスだったのでちょうどよかった。 環境問題や自然のテーマってどうしても繊細なテーマだったりもするので。態度として“自然の楽しさを伝えること”を通じて次世代に繋げていくことができたらいいねっていうことで、この名前を選びました。
“言葉では言い表せない共通の感覚”が繋がって生まれた場所。
―――2人の共通項がなんとなく見えてきたところで、話をバレルサウナ導入へ移したいと思います。最初の『SANU 2nd Home 八ヶ岳2nd』へのバレルサウナの導入、その流れで継続的に那須1stにもバレルサウナが導入されるに至ったストーリーをお聞かせください。
福島直接のきっかけはヒデ(宮原 秀雄)さんとヒロ(本間貴裕さん)の繋がりです。『SANU』のスタイルでもあるのですが、まずは“人ありき”なんです。なんとなく友人関係って好きなものは共通で、今の時代ってただ一緒にいるだけじゃなく、大切にするものが近かったりするじゃないですか? 突然ビジネスライクな関係というよりは、そういう“繋がり”の中でのきっかけを大事にしています。そこから、本当に一緒に(事業やプロジェクトを)やりましょうってなった時には、大事にしているものの感覚とかバランス感が近いことはとても重要だと考えているので。 なので、僕らはデザインとクオリティと自然との調和みたいな部分を大事にしていて、『ONE SAUNA』さんとならうまくそこを成立させられるだろうと感じたことが、ご一緒させていただいた一番のポイントです。
「モノがいいですよね。安かろう悪かろうで作ったモノと違うから」(福島)
福島そのまま継続的な発注へと繋がったのは(デザインや思想面はもちろん)ズバリ施工がとても丁寧で綺麗で、クオリティが高かったこと。 僕らもそれで飯を食っているから、やっぱり最初はヒデさんと仲がいいからで始まったけど、じゃあ2つ、3つやりましょうってなったら、お客様に提供するものなので、そこに一切の妥協は許されません。モノがいいですよね。 安かろう悪かろうで作ったモノと違うから。そういう経緯で今回も(那須1stに)導入しましょうと。那須にはキャビンが5棟ありますが、その内の2棟にバレルサウナを導入させていただきました。
揚松ありがとうございます。今回導入させていただいたバレルサウナで一番に考えたのが、寒冷地に置かれるバレルサウナの寒さ対策でした。 僕らはベースが宮崎なので、八ヶ岳や那須のように氷点下の世界を体感する機会が少ないので苦心しました。考え抜いた結果、バレルサウナの室内温度が下がりにくい構造が必要だったので、シンプルに前室を造ることに行き着きました。 前室があることで、扉の開閉によるサウナ室内の温度低下を最小限に抑えることができ、那須のような寒冷地でもお客様にゆっくりとサウナを楽しんでいただける仕様になったと思います。
「寒さ対策の一つとして、シンプルに前室を造ることを考えた」(揚松)
福島前室がついたことは大きいですよね。あまりサウナに入らないSANUの建築チームのトップがいるんですけど、「前室の安心感やばいっすね!」と漏らしていました。「そうでしょ、そうでしょ!」って思っています(笑) 『SANU 2nd Home』をご利用いただくメンバーは、冬の極寒でもサウナを楽しめるコアなサウナーばかりがいる会員組織ではありません。これまでそんなにサウナに入らなかった層が入ってみてすごいよかった。とか、サウナに入った後の寝ながら自然の中にいる時間が好き。とか言ってくれるのが『SANU 2nd Home』らしいサウナの提供の仕方なのかなと考えています。 前室が付いたことで、「季節を問わず自然と繋がる体験の一つとして、サウナってそういう風に活用ができますよ」って提案ができるようになったと感じています。
揚松今回はもう一つ、『ONE SAUNA』独自のIoTサウナコントローラー『ON-SAUNA』も導入させていただきました。スマートフォン、タブレットなどでヒーターのON/OFFはもちろん、予約設定や外気温に応じた予熱時間の最適化を可能にするシステムです。 “地球に優しいサウナ”って考えた時に、サウナは無理やり(ストーブで室内を)高温に上げていったりして、地球に負荷のかかることをやっています。そんなマイナス面をテクノロジー的な側面から無駄を省いていけたらいいと思っています。 IoTで(サウナ内の)温度管理をして、データを蓄積していくことで、例えば7時にタイマーで予約をした時に、冬だと2時間かかるかもしれないけど、夏は30分で済む。とか、予熱が無駄にならない管理が可能となります。 今はまだ開発途上ですが、ゆくゆくはお客様がタイマーを使った時に、「これくらい二酸化炭素の排出量減ったよ、ありがとう」とかそういったコミュニケーションができたらと考えています。宿泊施設では、朝にサウナに入りたいお客様が予熱の時間を待つのが面倒で(ストーブを)つけっぱなしにすることも多いんですよね。塵も積もれば…じゃないですが、そういった積み重ねをテクノロジーで支えていけたらと思っています。
「テクノロジー的な側面から無駄を省いていけたらいい」(揚松)
『ON-SAUNA』の実際の操作画面
福島さすがですね。安全面管理という点でもメリットがありますよね?
揚松そうですね。無人で運営されている施設などで、何かあった時の緊急装置として、押した時にちゃんと(運営側に)通知がいくような設定もできるので、安心・安全面への貢献度は高いと思います。 最近、とりあえず並行輸入のサウナで(事業を)始める方が増えています。やはりメーカーとしては(サウナストーブは)熱を使っていて一番危険なものという認識です。実際に施設の火事も起こっていたりして、最悪の場合は人命にも関わるので、そういった危機管理が重要だと考えています。 サウナは導入してからが本当の意味での長いお付き合いのスタート。そういったアフターフォローがしっかりできることこそが、国産ブランドならではの強みだと思っています。
福島ところで、そもそもサウナをバレル型にしたのは、何か理由があるのですか?
揚松それはいくつかあります。海外では割と見かける形だけど、日本にはなかったということ。日本ではウチが初めて作らせていただいたと思います。もう一つは、シンプルな構造なので、D.I.Y感覚で釘を使わずに簡単に組み立てられるということ。D.I.Yの精神ってウチの会社でもすごく大切にしていて。なかったら自分たちでちゃんと作る、工夫するっていう精神が好きなんです。 自分で作ったものって愛着が湧くじゃないですか? そうすると結果的に大切に使うようになる。サウナはどうしてもメンテナンスが必要になってくるので、結果いい循環が生まれます。お客様自身でも組み立てを楽しんでもらえるし、自分で組み立てたサウナに入るって体験はなかなかできないので。そういった体験を含めて『ONE SAUNA』として提供したいと思ったんです。 『SANU』さんと同じように基礎とかもいらないし、組み立てた後にバラして持ち運んで、再構築も可能です。結果的にですが、木材は熱で収縮するので、うまく(熱の負荷を)分散してくれるので構造的にバレル型でよかったです。
「D.I.Y感覚で釘を使わずに簡単に組み立てられる」(揚松)
揚松『SANU』さんのキャビンがあのようなデザインになったのは?
福島まさに“釘を使わない”工法は『SANU 2nd Home』のキャビンも同じです。キャビンは、作る時に解体することを前提に考えられて、組み立て説明書とともに解体説明書も作るコンセプトで設計されました。建築物なので、複雑性があって自分で作るまではいかないけど、思想としてはとても近いですね。何となく“自然に対して優しく、軽やかであろう”みたいなスタンスなんですけど。 元々の思想としては、自然の中で遊ばせてもらうけど、その分遊ばせていただく相手(自然)をむやみに傷つけていたら気持ちが良くない。それってサーファーの方が海にゴミが落ちていたら拾います。とか、登山する人間が必ずゴミは持ち帰ります。とか、自然の中で遊ぶ人間たちが普通に持っているマインドと同じです。 だから、建築するにしても森をむやみに切り開いて、基礎をコンクリートで埋めてその上に建てるのではなく、“自然へのダメージを少なく、むしろ『SANU』が広がるほどに自然が豊かになるもの”がやりたいと思い自然とそういう発想になりました。 そして、提供しているサービスが生活の提供なので、非日常というよりは日常の空間で滞在できるような感覚。ライフスタイルブランドとして「自然から都市へ繰り返し通い、暮らす。」を広げていこうとする時に、ミニマルだけどゆったりとしていて、そこで安心して生活ができるもの。って所でこのデザインに落ち着きました。
「“自然に対して優しく、軽やかであろう”みたいなスタンス」(福島)
福島 弦(ふくしま げん)
株式会社Sanu CEO
McKinsey & Companyにてクリーンエネルギー分野の企業・政府関連事業に従事。その後、ラグビーワールドカップ2019日本大会の運営に参画。2019年、本間貴裕と「Live with nature. /自然と共に生きる。」を掲げるライフスタイルブランドSANUを創業。2021年11月にSANU 2nd Home事業をローンチし、現在(2023年12月)14拠点の自然立地で事業を展開する。北海道札幌市出身。雪山で育ち、スキーとラグビーを愛する。
揚松 晴也(あげまつ はるや)
株式会社Libertyship 代表取締役
1986年生まれ、宮崎県出身。専門学校にて航空整備士の資格を取得後、仙台空港にて航空整備士として従事。 2009年 埼玉県の会席料理店に転職、店長、調理師として働く。2012年 銀座の組織人事コンサルティングファームで営業、セミナー運営等の経験を積む。2013年 株式会社アラタナへ入社。EC構築パッケージの営業及び、ディレクターとして100サイトを超える自社ECサイト構築プロジェクトに参画。ECコンサルとして、集客・接客・CRMなど、自社ECサイト売上向上の支援も行う。2015年 スタートトゥデイ(現ZOZO)グループにアラタナがM&Aされてからは、部長としてファッションEC特化のフルフィルメント業務支援の運営や全体最適化コンサル等を実施。新規事業等の開発プロジェクトにも携わる。2019年 株式会社Libertyship設立。EC/WEBのプロジェクトマネジメント事業を営む。2020年 国産パーソナルサウナブランド「ONE SAUNA」をローンチ。2021年青島プロジェクトの取締役に就任。